空を歩く

GIFT《1:星》〜マヤ紀行2001〜

                              2001.3.16〜27

 マヤへ行こうと思い立ったのは始めは小さな火花だった。
 でもその火花はいつも実現している例のやつだったので、行くことになることは確信していた。けれども成田に赴くまでにこんなにいろいろあった“実現”もかつてなかった。金銭的問題、健康問題。本来ならば止めるのが当然という状況だった。常識的オトナはこんなことしない。けれどもわたしの奥の表面的わたしでないところがどうしてもゆずらず、考えることを止め、ゆだねることで機上の人となることができた。

 長時間のフライト。ほとんど寝た気がしなかったが、目を閉じていたあるほんの一瞬、まぶたの裏にクリスタルがキラキラキラッと7色に光るのがみえた。とてもうつくしいのにちょっとハッとして、印象に残った。
 マヤン・オラクル(マヤの神託)という本にはわたしを象徴するものが意味はわからないが“クリスタルの飛翔”とある。なにか関係があるのだろうか?
 ロサンゼルスで乗り継ぎ、メキシコシティーに向かう。メキシコシティーの空港はなんだか“上野駅”という印象だった。“東京駅”ではないのだ。親しみが湧く・・。
 
 翌朝早く国内線飛行機にてビシャエルモサ空港へフライト。そこへ向かう飛行機の窓からはメキシコの大地を堪能。
 メキシコシティーは想像以上に大きい街でひろびろとひらけており、それを取り囲む山はうつくしく、やすらぎを感じさせられた。街を抜けると山々の連なりに薄い霧のような雲がたなびきそこに朝日がサアーッと差し込んで幻想的な光景が広がってきた。その先は見事なまでの地平線にまで渡る雲海。
 雲海との境目ははっきりしていてそこが標高ががくんと下がる端で、メキシコシティーが台地のような高原であることがわかった。
 飛行機というものをほんとにスゴイと思うのは、それが早く目的地に着けるということよりも、この天使か神様に近い視野を得られることじゃないかとさえ思う。それって奇跡のひとつじゃないだろうか。この光景を人が手にしたのはものすごいことなのだということに、もっと気づいてもよさそうなものだといつも思う。

 さて、素晴らしいフライトを終えて飛行機は南国の花咲き競うビシャエルモサ空港へと滑り込む。タラップに一歩出るとムッとした熱帯の空気に包まれた。いろいろな花のにおいの混じった湿り気のある少し重みのある空気。
 用意されたツアー11人乗りのワゴン車に乗り込んで、第1番目の遺跡、パレンケへと向かう。パレンケはマヤの重要な情報(パカル王の石棺の蓋)が見つかった遺跡だから第1番目にたしかにふさわしいのかもしれない。こうしてこのツアーの蓋もひらかれたのだ。

 パレンケまでは空港からけっこう走る。それがどこまで行ってもまっすぐな道で、景色もどれだけ走っても大きく変わらなかった。時折牛や馬が放たれている草原、ところどころ椰子のような木の混じる樹々。緑のなだらかな丘が続き、わたしは自分が今住んでいる北総台地を彷佛とした。建物も電柱もない緑の大地。
(きっとあそこも縄文の頃はこんな風景だったかな・・いや、江戸時代でもこうだったかな・・)
 豊かだ。なにもないというのはとてもたくさんある。
 こんな光景はなんだかうきうきした。ちっともたいくつしなかった。
 ずいぶん走ってから、初めて右折した。
 やっとパレンケの看板が出た。なんて分かりやすい道順かと感心した。わたしがいきなりひとりで来て運転しても迷わず行けそうだと思うくらい。
 そしていよいよ初めてのマヤの遺跡と御対面、だ。

 車から降りて熱い空気の中遺跡へ向かう。
 あまり距離はなく、すぐに緑を背後に背負った石の壁が目に入ってきた。
 木立を抜けるとそそり立つように遺跡は迫ってくる。
 日本の神社・仏閣で感じるような“気”は感じないが、近づくとまっすぐ立っていられないような圧迫感を感じた。上半身が遺跡と反対の方へななめに傾くような威圧感だ。きれいに整備され芝生も植えられ観光客がそぞろ歩くここはまるで公園のような風情だが、いまも圧倒する存在感はやはり現存する聖域でもある。
 パカル王の神殿から奥の遺跡へ。そこの一番奥のひらけたところの人間の7つだかの悪が裁かれる場というところはちょっと印象に残った。
 思い上がりだとか、自分にも多々ありそうでなくならないいろいろ。いざ裁かれるとしたら恥ずかしい。しかし、それが昔から今に伝わる困ったものであるということは、ひとの性質がそうは変わっていないということを思い起こさせる。
 しかし、すこし高くなっているそこから眺める遠方の景色は、そんなことも忘れさせる明るさだった。そこからさらに上の方に登ったところにまたいくつか遺跡がある。
 見上げるばかりのここでは一番大きいものに登った。
 息も切れ切れにたどりついたそこは素晴らしい眺望!遠景の緑の大地はずいぶん下方にひろがっており、ここがけっこうな標高であることに気づかされた。
 それにしてものっけから“どこまでもひろがる”という風景にいくつか出会っていると、ここが惑星(ほし)であることを思い出すのに充分いい。
                                《2》へつづく
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by ben-chicchan | 2005-09-26 19:51 | 紀行文
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