空を歩く

ケッパー・カッピー事情

 その生き物は今もいると僕はいきつけのバーのマスターに聞いた。
 マスターは涼しい顔をして時々僕を煙に巻くようなことを言う。
 その生き物とは---。僕がジンの2杯目に舌をつけた頃、マスターは言った。
「ケッパー・カッピーって知ってるかい?」
「え?だれだって?」
「カッピーさ。知らんね、そのカオじゃ。」
 僕は古いジャズトランペッターかだれかかと思い、少し興味を持って尋ねた。
「なにする人だい?」
「別に。」
「??」
 僕は言葉の意味がよく飲み込めなくて再び尋ねた。
「ジャズ?それとも小説かなんか書いた人?」
「別に何かしたってワケじゃないんだ。」
 また分からないことを言う。僕はこの遊びに慣れていたのであきらめずに聞いた。
「それじゃ知るワケない。だれさ。」
「だれでもないんだよ。ケッパー・カッピーさ。」
 僕はジンがまわっていい気分になって黙った。
「・・・。」
 かまわずマスターは続けた。客はもう初老の男が帰り支度をしているだけだった。どうやら僕はつかまったらしかった。グラスをふきながらマスターは言う。
「オレが聞いたのはマスターになりたての頃、靴磨きのおっさんからだった。あんたと同じことを聞いたよ。そしたらオレと同じこと言いやがった。」
「そう、カッピーってのはね、どこにもいるんだ。南にも北にも。水のあるところなら都会にも。東洋にもいるって言ってた。日本にも伝説のように話が残ってるらしい。」
「・・・。」
「そいつを見たことはオレもない。どんなヤツかは聞いた。それと、そう、そいつの仕業らしきことにはオレも出会った。」
「どんなことをするかって?たわいのないことさ。バスの釣り銭をごまかしたり、風もないのに木を揺らしたり。だが、たいていは罪のないことさ。」
「ところによってはこわい話になってることもある。だが、オレの聞いた限りじゃヤツはただ、オレたちの世界のとなりに生きてるだけなんだ。そしてオレたちより多くのものと話せる。イヌやネズミや自動販売機なんかとね。」
 僕はカウンターの上に肘をついて頬づえしながら、ぼんやりそいつの面影を追っていた。
「なんでかおっさんはえらく詳しかったね。きっと会ったんだろう。会って話したんだろうな。そこまで聞いたかはオレは忘れたが・・。ヤツの弱味はケッパー(フウチョウソウ科の低木のつぼみのピクルス)。食べると熱を出すって言ってた。たまたまおっさんの知ってるヤツがそうだったのかもしれないがね。いつもコートを引きずって、帽子を深くかぶっているって言ってた。髪は伸ばしっぱなしで、まぁ、一見浮浪者みたいなんだろうな。ひとつ違うのはツメが黒く長く、指の間に水カキがあるってことだ。だから、一体、どういう生き物なのかはわからないのさ。そんなのは図鑑にものってないしね。そんなに会えないし。少ないのかもしれない。それともヤツの領分とオレたちの領分が重なっているようで重なっていないのかもしれない。」
 僕はジンに入っていたレモンを頬ばって、頬づえをついたまま聞いていた。
 頬づえに似合わず、僕はずいぶん熱心になって聞いていた。
 僕のしびれた脳に、ヤツの姿が映っていた。真夜中の自動販売機と話をするケッパー・カッピー。
「どうしたら会える?」
 僕は自分でも知らずに聞いていた。
「オレが聞きたい。」
 マスターはいつもの思わせぶりな笑いで答えた。
「危なくないヤツかい?それともこっちの出方によるかい?」
「言ったろ?ただ、となりで生きてるだけなんだ。危なきゃとうに戦争になってる。」
「何のために自動販売機と話をしてるんだ?」
「ハラがへると話を食べるんだよ。」
「!?」
「ヤツは自分以外のものと話をして生きてるんだ。ただ、好奇心の強いヤツだから、オレたちのマネをしてみることもある。ケッパー入りスモークサーモンを食ったりね。おかげで熱を出したりね。」
 僕は頬づえするのも忘れてぼんやりマスターのヒゲが上下するのを見ていた。
「何のために生きてる?」
「さあね。生きるために生きてるんだろ?」
「学校なんかないのかな?」
「まわりってもんがみんな学校なんだろ。」
「ガールフレンドは?」
「そんなこと知るかよ。自分で聞けよ。」
 マスターは少し苦笑して僕にレモンスカッシュを作ってくれた。
 
 店の扉を閉めると外は満天の星空だった。冬のせいで星は凍てついたダイヤモンドダストのように鮮やかにまたたいている。
 僕はほてった頬を冷たい手で覆いながら、背中をまるめて雪道を踏みしめた。
 たんたんと。淡々と。
 ケッパー・カッピーのように、たんたんと足を右、左と前へ運びながら街灯の声を聞こうとしていた。
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by ben-chicchan | 2006-12-13 19:29 | story
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