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空を歩く

大和・みたまの水脈をたどる旅*3

 ひとつの宿題を終えて、さらに水脈の源流へと遡る。
 街道が交わる下市口のあたりでGW渋滞らしきものと出会うが、十字路を曲がるとそれは解消された。天の川流るる弁財天の地まで高度を上げていく。
 思ったより走りやすい道だった。迷ってたどりつけないこともあるとか、車ですれ違うのはぎりぎりのところがあるとか小耳にはさんでいて、山深い深山幽谷のようなところを想像していただけに、意外。ごくごくよくある明るい山道、だった。
 
 途中道がカーブするところで看板の文字が目に飛び込んできた。
『日本一古い水の神様』
「あっ!」と声をあげて車を止めてもらった。
 そこはちょっと気にはなっていた丹生川上神社下社。ただ、今回は天河というあたまが大きかったので、寄ることはあまり考えていなかったのだ。
車を降りてみて鳥居から望む本殿は、独特の様相をしていた。Kさんは言った。
「龍が昇っているみたい。」
 なるほどそうとってもいいような拝殿から本殿へと続く屋根。まるで背後の山に昇っている龍。そちらの方からまるで清流のように流れてくる気は、下界のちりあくたを流し去っていくようだった。
 実際に近づいてみるとその拝殿には上がることができるようになっていて、その奥に急勾配で本殿に続く階段がそそりたっている。なんというインパクト。本殿をいやがおうにも畏れ多く見上げることになる。
 わたしにとって水、というのは大きなキーポイントなのだが、この水の神(イザナギ・イザナミの子クラオカミの神)のお社はまるでその源泉と出会うような深い印象を刻む場所となった。
 水とつながりの深いわたしは、水の神、市杵島姫とご縁が深い。それは別名弁財天ともいわれることがある。というわけで天河へとやってきた、ということでもある。
 参拝しているとやはりここでもキラキラとしたものがまたたいた。
 思ってもいなかったが、なにかたましいの潤う忘れられないところとなった。

 天河はそこからすぐだった。GWで混み合う道の駅や、黒滝茶屋という土産物屋を過ぎて、長いトンネルをふたつ越すと天川村に着く。あっけらかんとからっとした暗さのない山里に入った。
(ここ?)ほっとするような、拍子抜けするような。
 とにかく14:00なので昼にする。決めていた“おおとり”というログハウスでしめじうどんを頼んだ。うどんは旨かった。おつゆは飲み干したいようなだしのきいた薄味で、入ったしめじはしめじの味がした。
 
 それからいよいよ天河弁財天へ。
 思いのほかフツウ。思いのほか観光地。村の鎮守といった構えに見える。
 たしかに気はつよいものを感じた。けれども本殿でのご参拝では大きなインパクトはなかった。
 ふたりともなんとなく消化不良のまま、来る前に信頼のおける人にもらっておいたアドバイスに従って、あらかじめただ名前だけ聞いておいた鎮魂殿というのに行く。
 社務所できいてみた。
「何を鎮魂されているのですか?」
 すると社務所のひとは
「そこの下の川が禊の場になっていて、おそらく自分の魂を鎮めるということだと思います。」と答えてくれた。にわかにむねの瞳が輝いてきたように想った。
(それは、とてもいい!)
 
 行ってみると、ここも思ったより明るく、何気ないところだった。
 けれども禊場のあるうつくしい流れにかかる橋を渡る時、尋常でない場の気を感じた。たしかにここは禊の場だ。普通の観光客は来ないだろう。誰もいなかった。
 石が敷き詰められた場に立って、拝殿に向かって参拝した。あとでもう一回見た地図によると、この鎮魂殿の後ろの高倉山というのは水晶でできているらしい。それが御神体なのかもしれなかった。だからここが禊の場になったのだろうか?
 拝んでいるとまぶたの裏でゆっくりとうずが回転しだした。はじめは右回り、そして左回りに回転を変え、そしてまた右回り、最後にまた左回りしてうずは消えた。そしてまたキラキラと星のような光がまたたいた。
 最中に鳥の声がしつづけた。行ったり来たりと、行ってしまわないで旋回している。拝み終わって見上げるとすぐ上の木の枝にとまってさえずりつづけている。不思議な感じがした。しばらくそこに立ってその場を味わっていたが、鳥が別の木に移動したので呼ばれるようにそっちへ行ってそこの石に座ってしばらくぼうっとした。
 ここはたしかにどこよりもなにか浄化されるような充電されるようなところだった。
「ここに来るために天河に来たんだね。」ふたりしてうなずきあった。
「ここがなければ、来た意味がわからなかったね。」

 翌朝、まずは宿のすぐそばの栃尾観音堂というところに寄る。ここは知らなかったのだが円空仏が納められていて、大谷屋という宿のおかみさんによると開いていて見られるようだった。
 こじんまりした観音堂、そっと扉を押すと開いた。おお!ほんとに真近で見られる!ガラスで隔てられてはいるが、とてもパーソナルな空間で観音様のお茶の間に上がらせていただいているようだ。般若心経の真言だけ唱えさせていただいて、あとはつくづくお顔を眺めさせていただいた。
 
 笑い顔。ほっぺたがふっくりと笑んでいて、知らず知らずこちらも笑みが浮かんでくる。何か悩み事があったとしても、くっくっくと笑われて、赤面してそれも溶けてしまうような、とてもかろやかでふところの深い明るい笑顔だ。
 弁財天も宿のおかみさんのように笑っている。
 金剛童子は水に洗われたように品よくまろく、護法神像はそういうタッチだけではない深みと激しさも表現されていた。
 これらは円空の激しい求道の果てに天から落ちてきた果実なのだろう。衆生から一歩引いた仏像の多い中、この観世音はこちらへ歩み寄る。三十三通りに衆生に近しく変化してあらゆる衆生を救いたいという観音のこころ、そのままが表現されているようだった。
 暗さ、激しさを突き抜けた円空の成就を感じる。しみた。
 観音堂を出ると、空をはばむ山の緑は屏風を立てたように迫ってくる。うつくしい。ここにもワカモノはいて、家族と何か作業をしていた。この山とともに生きてきた日々、生きていく日々。わたしにはない人生。うらやましいようないとおしいような新鮮なようなほろ苦いような、そんな山椒のようなアクセントを感じた。

 きのう天河弁財天のところから独特の枝ぶりの目を引く大木が見えた。案内によると樹齢1300年のいちょうらしく、寄ることにした。今日もいい天気だ。天気予報によると夜にはくずれてくるようだが、いい日ざしが午前中のきれいな光を届けていた。
 大木は素晴らしかった。見上げるとちゃんと小さないちょうのかたちをした若葉が大樹の老成した幹には不釣り合いのようでいて、いとおしくまぶしい。
 帰りかけて弁財天の鳥居を目にしたら急に寄ろうという気が湧いた。朝の光と気の中での参拝はまた違ったものもある。鳥居に近づくと昨日よりもその気は強く感じた。
「鎮魂殿に行ってきたしねえ。」と顔を見合わせる。
 階段を昇り切る頃、ご祈祷の音がしてきた。小走りに御前へと罷り出る。ひとりの男性がご祈祷を受けているところで、有り難くご相伴させていただく。そのあまりのうつくしい祝詞の声音にスイッチが入る。
 合掌して立っている足元から細い小さな白い蛇が立ち昇ってくるようだ。ゆらゆらと。まるで海の中の海蛇のように宙を。
 自分もすこし。自分のまわりの人々、そして世界へ。届け届け、この捧げもの(ご祈祷)が。自分は拡声器(中継機)になったつもりで、このご祈祷を通そうと想った。
 そしてなんと、神職さんはのたまう。「般若心経〜・・。」独特の祝詞風に聞き覚えの有るお経が奏でられていった。ぞくぞくう〜。涙みたいのがきらきらと自分の細胞に湧いてくる。トリハダもの。3度ほどもそれは繰り返された。
 今、とても近しいものとなっている般若心経。今回は気がつけば観音菩薩の旅でもある。救世観音、栃尾観音、長谷観音。聖徳太子は救世観音の生まれ変わりともされている。同行二人というが、それはわたしたちには今、観音様との同行二人かもしれない。まさか天河弁財天で般若心経を聞くとは・・・。じーんと内に反響を覚えながらこの邂逅に感謝した。

To be continued・・・
by ben-chicchan | 2005-02-28 00:06 | 紀行文
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