空を歩く

大和・みたまの水脈をたどる旅*4

 ここまで来て良かったなあという想いに満々と満たされながら、レンタカーをもどさねばならないのでそろそろ下界へ下る。ガソリンを入れたりしていたらちょうどいい案配に昼すぎになった。
 それから電車でふた駅の長谷寺に寄る。ここの観音様はあんぐりと見上げるような巨大さで現在の御本尊は1538年の作だが、そもそもは686年に道明上人に開かれ、727年に西国三十三所観音霊場の開祖である徳道上人がここに十一面観世音菩薩をお祀りした、そうだ。西国三十三所観音霊場第八番だが、根本霊場といわれている。つまりは観音信仰の根本霊場、ということか。
 
 暑かった。おまけにここは駅から一度下って、そして上ル。すきっぱらもあって、くた〜としながらどうにか目指していた門前の田中屋という店へ。三輪そうめんのにゅうめんとたけのこごはんとごま豆腐のセット。ウマイ!エネルギー補給してさらに長谷寺名物、昇りの回廊。その脇が牡丹園だったが、今年は桜に習って牡丹も早かったらしく、終わりかけていた。なごりの牡丹。
 
 長谷寺の魅力はずば抜けて大きい観音様もさることながら、本堂の舞台から広がる景色だろう。
 観音様自体は昇ってきて消耗するのと人が多いのとあって、あまりじっくりとしっとりと向き合える状況にはなかった。だが、舞台に出てその眺めを見下ろした時の感動といったら!
 そこは緑打ち寄せる湾のよう。それもこの時期の緑は上等だ。透き通るようなかえでの黄緑はさえずるようだし、常緑樹も生命の力強い加速度的な成長を内に秘めて、濃い緑色をしながらもさながら燃えあがる蒼い炎のようだ。そしてはるかに稜線。うつくしく埋まる瓦屋根。新緑の中ではひときわ輝き伸びる五重塔。
 なにもかもがこの世の極楽を醸し出している。
 初瀬へと参るいにしえの人々の想いが共有できるようで、しばし浄土に浸っていた。
 最後に大神神社がひかえているので、後ろ髪引かれながら舞台を降り、その長い門前を戻り始める。
 このくらいの登りに耐えられるようになった肉体に感謝。ここはここで大きなところなので、まるで朝の栃尾観音堂が昨日のことのようだ。ここ最近の旅は一日が二日にも三日にも感じられる。
 
 電車で桜井駅にもどって改札を出たところで、真ん前の『大神神社にはバスが便利』とかいう看板が目に飛び込んできた。「えっ?」電車で行くつもりだったわたしはあわてて時刻表を見た。15:40発。
「わっ!ちょうどいい!」
“お待ちしておりました。”といわんばかりにバスがそこに待っている。
 この旅の企画書がどこぞに通り、まるでいろいろとどちら様かが手配してくれたよう。ありがたくその“時の御縁”をいただいて奈良野の大御所、三輪明神の元へと運ばれていった。
 三度(みたび)訪れた大神神社。一度はまだ何も知らぬ20そこそこ。二度はメキシコへ行くことを決めるための極寒のサイクリング。そして今。時は刻まれてゆく。
 
 旅から帰って3日経った今顧みると、この大神神社は実はなんと今回のわたしにとって大きい存在だったことか。わたしにとってどういう存在の神かいまだに把握しきれていない。けだし、この言葉にならない大きさが、たぶんわたしにとっての三輪明神なのだろう。御加護いただき畏みて誠から感謝申し上げたき神である。
 参拝するわたしはなぜか日本武尊であった。尊は柱となって国土へ惑星(ほし)へと三輪明神の功徳をひろげようとなさった。三輪明神とどういうつながりで尊がそこに現れたのかはさだかではないが、この一連の行程の中で自然とそうなった。大和を愛する尊と神であるならば、そこに矛盾はないのかもしれない。
 そして“和”を唱えた聖徳太子。大和(やまと)、とは、大きな和、と書く。“大和し美し。”
 
 願わくは、生まれる前に決めてきた通りにこの生を生きられます様。
 一者から伸びるあらゆる手にすくわれながらあらゆる手とともにこの急流を大海へと流されてゆこう。
 今、これを書きながら「願わくは、」でにわかに胸の血管が詰まるようだった。
 「流されてゆこう」と書いた時にそれは溶けて流れた。
 人のからだは運命のメタファー。その声をきき、地図を読む。
 そうして旅をすればいいサ。ガイドブックももう要らない。

                                    
                           春風吹く 5月
[PR]
by ben-chicchan | 2005-02-28 00:14 | 紀行文
<< 始まりの海 大和・みたまの水脈をたどる旅*3 >>