空を歩く

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エンジェル・フライ*1〜フラウ*

 月を見ていた。
 満月に近い月だった。
 マオは本屋に寄るために津田沼駅に降りたところだった。
 あまりにもうつくしすぎて少し常軌を逸したようなその月は、天空にいつもよりも存在感を増して黄金がかった光を放っていた。
 つい、そこが雑踏であることを忘れて足を止めて見上げてしまった。
 急に立ち止まったので後ろの人がぶつかりそうになった。上の空であやまりながら目は月から離すことができなかった。
 月は周囲の雲を照らしてドラマティックにその空間に奥行きをつくっている。
 少し胸騒ぎがしてそこから動けなかった。
こんな月の晩は、何があっても信じられる気がした。
 そして、それは来た。
 
 初めは鳥だと思った。
 ちょうど月を背にして来るので気づかない人の方が多かった。マオが突っ立ってある一点を凝視しているのに気づいて、そっちを見る人がちらほら出始めた。 
 近づいて来るそれは思いのほか大きい。金色の巻き毛が垂れている。
 翼はゆうに左右で2mくらいに見えた。
 雑踏の動きがにぶくなり、立ち止まる人が増え始めた。
 ざわめきが起こる。
 マオはその中心で言葉を失っていた。
 それはまっすぐとこちらに向かってくる。
 期待のようなものとおそれとで凍りついたようにマオはそこから動けなかった。
「なんだあれ!」
「天使じゃないか?」
「なに?」
「うそー!」
 次々に声があがる。
 もう、他にそれを呼ぶ言葉はなかった。
 ”天使”はマオの真ん前に羽ばたいてりんかくを光らせながら降り立った。絵に描いたような金色の巻き毛で鳶色の瞳のうつくしい女性だ。あごはきゃしゃでほおとくちびるがほんのりと紅い。まっすぐにマオを見ている。
「キャー!!」
 群集からまるでアイドルに出会ったように声があがった。
 それには無頓着に天使はマオの手をひっぱると舞い上がった。
「えっ!?」
 みるみるうちに高く浮かぶとあっという間に人々の声は遠くなっていった。羽根もないのに天使に手をつかまれているとマオまで飛んでいる。
 起こっていることをまるで確かめるようにマオは胸に抱き締めたバッグをつかむ手に力を込めた。
 風がきつくて息が苦しい。
 咳き込むと、天使は気がついたように飛ぶ速度をゆるめた。
 そうして徐々に灯りの少ない空間へと高度を下げていった。
 降りていったのは緑の多い場所だ。
 覚えのある香りがする。バラの香り。
 それはマオの自宅にほど近いバラ園だ。通い慣れた散歩コース。まさか空から、しかも天使と降り立つなんて夢にも思ってもいなかった。閉園後で人気はない。
 ちょうどバラの季節。きのうも来たばかり。
 でも夜の閉園後なんて入ったことはない。向き合った天使は見とれるような微笑みを浮かべたかと思うと、バラの香りを胸いっぱいに吸い込んでくるくるとそこで舞い始めた。マオはうっとりとそれを眺める。
 天使はバレエを踊るようにかろやかにうれしそうに舞うともう一度マオのそばに来て笑った。
「マオ、見つけた。」
「え?」
「ずっと上の方から見えた。わたしを見たでしょ。」
 マオはかぶりを振った。
「見てない。見えるわけない。」
「見たのよあなたのここが。」
 そういって天使はマオの胸を指す。
「フラウ」
 そういって彼女はバレエ風におじぎをした。
「名前?」
「そう。」
「見られると?姿を現すの?」
 フラウは首をかしげていたずらっぽく笑っている。
「なにしに来たの?」
「好きなの。」
「なにが?」
「マオみたいのが。」
「きいたことない。」
「なにが?」
「天使が駅に降り立つなんて。」
「そう?」
「見られていいの?」
「まずかった?」
「まずいわよ。大騒ぎよ。」
「そうなの?」
 マオはちょっと可笑しくなった。
 この天使は世間知らずなんだろうか。

「フツウ人前にあんなに派手に現れないもんだと思うけど。」
「わかった。今度からそうする。」
 そういってフラウは無邪気に笑った。
「なんでわたし?」
「天使好きするたましいを持ってる。」
「それってどんな?」
「ひとつ。空が好きでよく空ばかり見てる。そうすると目が合っちゃう。」
「へえ?」
「ひとつ。バラが好きでバラが咲くと必ずバラに引き寄せられる。」
「バラ?」
「バラって天界のものなの。知ってた?」
「ううん。」
「ひとつ。ひとの悪口がいえない。」
「うーん・・・。」
「けんそんすることないわ。ばれてるわ。まだききたい?」
「いえ。それよりあなたのこときかせて。どこから来たの?ほんものの天使?」
「天使っていうのは天から来るものよ。羽根、さわってみる?」
「いいの?」
「ほら。」
 そういってフラウはくるりと後ろを向いた。
 ふさふさした羽毛でしっかりした手応えがあった。フラウは面白そうに羽根をひらいてみせた。
「重くないの?」
「マオは自分の手が重いなんて思う?」
「ううん。」
 フラウは楽し気に笑うと少し羽ばたいて地上10cmくらいを浮遊しながら移動し始めた。
 なんとなくそれについていく。
「家まで行くわ。」
「えっ!!それはやめてよ!家族が卒倒する!」
「見えなければいいでしょ?」
「え?」
 そういうとフラウはすうっと薄く霧のようになって消えていった。
「フラウ?」
 あわててマオは呼んだ。
「いる。ここ。わかる?」
 そういってマオの手をにぎる。
「そんなことできるんだ。」
「いくらでも。自由だわ。わたしがそばにいると見えなくてもわかるわよ。」
「うん。」
 たしかに目には見えないが白熱灯がともっているようなあたたかみと、うっすらとバラのようなよい香りとを感じた。
「いこ。」
 マオは不思議な胸のぬくもりを覚えていた。まるで友達を家に連れて帰るようだ。会ったばかりなのに。しかも天使なのに。

「ただいま。」
 家に帰ると弟のユウが興奮した様子でマオに叫んだ。
「ねえちゃん!津田沼に天使が出たってよ!高校生をさらっていったって。」
 内心ギクッとしながら、とぼけた。
「へーなにそれ。なに言ってんの?」
「ニュースでやってるよ。見てみなよ。」  
 父も母も食卓を囲んでテレビをつけて見入っていた。マオもちょっとドキドキしながらテレビのそばに寄っていった。
「・・模様です。目撃者は多数で連れ去られた少女の身元は不明です。髪は肩までありGパンにグレーのカーディガン。お心当たりの方は最寄りの警察まで・・。」
「ああ、お帰り。」
 母が振り返って言った。
「なにこれ?」
「天使が出て人をさらったとか。エイプリルフールじゃあるまいし。お風呂わいてるわよ。」
「はーい。」
 そういってマオは自分の部屋に引き上げた。
「くっくっくっく。」
 フラウもいっしょになって笑うのを感じた。
「ひとさらいになってるよ。」
「ほんと。姿は見せないほうがいいんだ。」
「あったりまえじゃん。まったく。明日髪、切りにいこ。」
「なんで?」
「変装。」

To be continued…
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by ben-chicchan | 2005-11-23 16:47 | story

GIFT《8:聖》〜マヤ紀行2001〜

 退院した。アナスタシアやマリアはいなくて、最後に別れは言えなかったけれど、その前に感謝の気持ちは残してこれたような気はする。帰ってから写真や千代紙を入れて手紙を出した。無事に届いているといいのだが・・。

 メキシコシティーへと飛んだ。
 初めに泊まったホテルへと“帰って”来た。
 帰って来て気がついたのだがこのホテル、『ホテル クリスタル』という名前だった。もう偶然みたいなこういうケースには慣れてきたが、ひとりでにやっとした。
 現地旅行会社の女性が涙を浮かべて迎えてくれた。
 旅行社の彼等のバックアップフォローがあったので安心して寝ていられた。個人旅行ならこうはいかなかった。渡されたキーが入った封筒に「お待ちしておりました。おかえりなさいませ」と手書きで書かれていて、あたたかい気持ちが伝わってきた。
 生きてこのフレーズを目にするのはやはりじんとするものだ。

 その日は旅行社が用意してくれた日本食弁当を部屋でいただいてゆっくりした。
 ボリュームたっぷり!えびフライにシャケにごぼうサラダに白いごはん。小さな容器に入っていたのはおしょうゆで、思わずはしにつけてなめてしまった。
 ほんの何日かごぶさたしていただけなのに、こうもうれしいものか。からだが疲れているときはよけいにうまいのかもしれない。米粒ひとつぶ残さずぺろり。
 
 翌日は病院に入院しているHさんと、ツアーをみんなの代表、“特派員”のようにひとり元気に続行しているFさん以外はメキシコシティーの中心部にある大学病院付属、といったような大きな病院の一角でハリ治療を受けた。そこにはチアパス州までやってきてくれたドクターのオフィスがあり、そこで別の日本人の先生がハリを施してくれた。
 ここは病院とは思えないようなレンガ造りの大学キャンパスのようなところで、花がきれいで、猫がたくさんたむろしている。
 待ち合い室はどこかの居間のような立派なソファーがある居心地のよい空間だった。
 わたしは元々ハリに興味があって学校に行こうと思ったぐらいだったが、自分の初めてのハリ経験がメキシコになるとは思いもしなかった。
 
 その日は午後は希望者は国立博物館や市内観光に連れていってくれるということだったが、わたしは翌日のティオティワカンのためにエネルギーを温存するためホテルでのんびり過ごすことにした。
 旅行社のはからいで個室が与えられていたが、ひろびろして淋しいのでTVをつけた。
 ちょうどギリシャ神話のようなドラマをやっていて、羽根のついた天使のような存在が崖っぷちにしがみつく男にしゃべりかけていた。話の内容はわからないが、見るともなくつけていた。チャンネルを廻すとスペイン語のポケモンをやっていたり、CNNで日本の芸予地震のニュースをやっていたりした。
 それから思いついて1階に降りてみた。
 ホテルのすぐそばの土産物の店を眺め、帰りがてら街角の写真を撮った。たいした距離ではないのに被写体には事欠かなかった。
 通りすがりのおじさんが撮ってやろうかというジャスチャーをしたが、預かったカメラを持ってとんずらするという手口があるという話も聞いていたので、断った。好意なのかもしれないが、街中では構えざるを得なかった。

 もう一軒の土産物屋はホテルの裏側にあった。店の前にフリーダ・カーロの肖像の等身大の平面の人形が立ててあり、中に入るとさっきの店より庶民的だった。
 だがここはあまり愛想がよくなくて、ひやかしの客に飽き飽きしているのか、あまりいい客ではないなと思われているのが感じられた。その通り。どんなに安くても要らないものは買わない。
 でもどういうわけか、なんだかその愛想の悪いおばあちゃんと商売っ気丸出しのおばさんのために何か買いたくなってきた。やっすいものでもいいから、メキシコにお金を落としていきたくなった。こういう普通の家族経営の店なんかに。
 手作りの皮製の小さなメモを買った。太陽と月の表紙。
 しかし、少々汚れて破れかけていたのでルールにのっとってまけてもらった。
 太陽と月。ティオティワカンを想った。

 いよいよ最終日。この日はグアダルーペにも行けるということだった。
 日本から駆け付けた旅行社の社長と帰りの飛行機のグレードアップの話になった。それが可能なことなのかはわからなかったが、重症の人もいるので全力を尽くしてくれるようだった。あとはこちらもできる行程をこなしてこの旅をいいものに仕上げなければならない。Hさんは一足先に日本で手術するために帰国し、ふたりホテルで静養するため残り、あとのメンバーで出発した。

 現地ガイドのKさんに替わって、ピンチヒッターガイドを勤めてくれたOさんは、ピンチヒッターといってもなかなか奥深いひとで、初めはただの調子のいい人かと思ったらとんでもない、遺跡や建築などいろいろ勉強していて人の情にも通じていてほんとの底の方でやさしく賢い面白いひとだった。おまけに気功師だった。
 Oさんは車中でMさんに気功をやってあげた。
 わたしはすぐ後ろに座っていたが、やっていることがよくわかった。そしてそれが自分だけでやれないということもよく理解できた。カミサマのような存在(エネルギー)と同行二人でやらないとひとりでは耐えられない。魔が差すというか、邪気を浴びてモロ影響を受けてしまう。
 けれども踏み止まってやっている人は無数にいる。それは神様に“使われている”のかもしれない。

 まずはグアダルーペに向かった。
 カトリックの聖地なので世界から人が集まるらしい。巡礼者で栄え、おみやげものやさんが軒並み並んでいる。敷地内もところ狭しと出店が出て、お祭りのようだった。
 まずはまっすぐマリア様のところへと行く。
 このマリアはメキシコ独特の浅黒い肌をしたマリアで、ある男のマントに浮き出たというそのマリアの像(絵)を御神体として人々が拝んでいる。奇跡のひとつとされている。
 近代的な建物に入ると、一緒に入ったMさんが反応して前に進めなくなった。
 あまりのマリア様の存在に打たれたようだった。
 わたし自身は“あがった”のか、少し散漫気味のようになって、奇跡のマリア像の額を見上げる平らなエスカレーターの上に乗ると、ただ小さなひとり子となったように畏れ多く仰ぎ見るばかりだった。カトリックでもないのに十字を切っていた。自然に敬意が発露した。何度かエスカレーターを往復してそこを抜けた。
 ちょうどミサをやっていてマリア像に向き合って大勢のひとが聖歌を歌っていた。
 マリア様を中心にひとつのこころになること、そのことも“マリア自身”のような気がする。マリアからあふれ出る慈愛のこころと垣根なく溶け合うことがマリアの望みであり、そこにマリアにふくよかにいていただくひとからの恩返しでもあるようだ。

 そこを出て、マリアのカードやらおみやげものを買い、車にもどった。
 車はゆっくりと出て、ちょっと行くと交通量の少ない道に入り、Oさんたちは道を聞いているようだった。ああ、よかったなと思うばかりでなんにも考えていなかったら、あるところで止まって車を降りることになった。
 なんとそこはあきらめていた“修道院”だった。
 ツアーに組み込まれてはいたが、ガイドのKさんが怪我で降板したため、現地スタッフでも場所がわからないようでこれはムリだな欲をかくのはやめようとあきらめていた。
 神の御加護!まさかの訪門。どこかふか〜いおはからいを感じずにはおれない。
 なぜならそこはやはりわたしにとって今回はずせないポイントであったような気がするからだ。
 ほんとうに地元の人も知らないというのがうなずける小さな入り口をOさんはノックした。年配の赤いカーディガンをはおった女性がうさんくさげに顔を出し、警戒顔でOさんにいろいろ質問した。
「いったいどこでここをお知りになりましたか?と言っている。」とOさんは通訳しながら、ペラペラペラペラとその女性に語りかけ、女性はうなずいて奥に引っ込んだ。するとOKが出て、マザーがお会いくださるというはなしになった。Oさんマジック。

 はちきれんばかりのチャーミングな笑顔の、わたしぐらいか、もっと若いのか、年齢不詳の修道女が楽しげに出て来て、みんなの顔を見回した。
 長いスカートを持って来て、上からはきなさいと渡してくれ、頭にかぶるものも貸してくれた。
 カトリックじゃないと本来は入れないところなので、ひとが来る前にOさんに
「カトリックって手を組んで?どう祈るんですか?」ときいたが、Oさん
「ま、こう(手を組むマネ)でしょうけど、こう(手を合わせて)でも、要は気は心ですから。」というようなことを・・。実家がお寺さんだけに寛容な・・。
 マザー(この人は若いけれど上から二番目のマザーだった)の案内で礼拝堂に入る。入るところに聖水があって、身を清めた。Fさんはすでにそこで大感激していた。
 思ったより荘厳というよりはあかるい感じのところで、Oさんのマネをして二列目の席につこうとして、ふと前の席のOさんが膝当てをしているのが目に入った。たたんである自分のところのも開こうとした。
 すると重みで、それは開くとか置くとかいうなまやさしい状況を通り越して“落ち”、
バッタアアアア〜〜〜〜ーーンン!!!という天界からジゴクまで響き渡るような大音響がして、
(神様!皆様っ!ごめんなさいっ!!!)とさっそくざんげするハメになった・・。
 ここぞというところでハズシて神様にも笑いをとるワタシ・・。アーメン。
 やれやれ。気を取り直してドキドキを鎮めてこの空間を感じようとした。
 このハプニングのせいかどうか天啓はなかったけれど、だんだんにあたまがシーンとしてきて“なくなる”のは感じた。あたまがなくなってあかるくふといひろい空気に満たされていくような感覚だった。
 なにしろここの印象は、あかるく親しみやすくしあわせに満ちた場所、というものだった。ここのマザーがその空気を代表しているようだった。神様はけっして遠い存在ではない、と、にこにこしているという印象を抱いた。

 カトリックでないことはバレバレであったように思うが、そんなことは一切気にしていない風のマザーだった。
 もしかしたらOさんはわたしたちが事故に遭ったことも伝えたのかもしれない。
(首にサポーターを巻いた一団であるので、一目瞭然であったかもしれないが・・。)
 礼拝堂を出るとうつくしい花が咲く中庭でマザーを囲んで輪になった。
 神妙な顔をしている人には「どうして笑わないの?」と笑いかけ、
「今度来るときはこの服を着てね。」と自分の服を示して冗談ぽく笑った。
 わたしは思わず自分のカメラを示して
「一緒にお写真撮らせていただけないでしょうか?」
と日本語で言うと、即うなずいてこころよく応じてくれた。
 こころあたたまるひとときとなった。
 
 そのあと、建物に入り、シスターたちが家族と面会する部屋にも案内してくれた。
 家族といえどもそこまでしか入れないらしく、一生を神に捧げるシスターたちの唯一の家族とのつながりの場だった。
 その部屋はなんともあたたかかった。こんなに“愛情”を感じる部屋に入ったのは初めてかもしれない。
 はなれていても家族との絆はより強く、愛は深いような気がした。
 そして、入り口のところにもどり、記念のものを探した。カード、十字架etc.
 そこでいろいろ見ているとマザーたちは大きなガラスのコップになみなみとリンゴジュースをついでひとりひとりに持ってきてくれた。
 Fさんが聖水を分けていただけないかと申し出ると、これまた気前よくミルクの容器にたっぷりと入れてひとりひとりに分けてくれた。
 最後の方で大柄のマザーも現れて、(どうも“一番”のマザーらしい)Oさんと楽しそうに語らった。ほがらかなマザーたち。
 Oさんは以前えらい牧師さんに質問したことをマザーともしゃべったらしい。研究でも修業でもなく一般庶民の素朴な疑問となるとその牧師さんはひとことでは答えられなかったそうだ。
“愛ってなんですか?”
「わたしはかんたんなことだと思うんですよ。となりのひとを愛するってことでしょ?“隣人を愛せよ”っていうでしょ?いやなひともいますけど、あんたのここはきらいだけど、でも好きよってそういうことだと思うんです。」
 マザーと楽しげに盛り上がっていた内容をあとでOさんは車中でぽろっと口にした。
 わたしはいかにもうれしそうに受けていた大柄なメガネのマザーの顔を思い出してにっとした。
 Fさんが言った「ああ、これでだいじょうぶだ。」というコメントにとても深くうなずける場所だった。

 さあていよいよティオティワカン!
 後から思うと“お清め”のようなグアダルーペと修道院を消化して、最後の仕上げの場に向かう。
 立派な高速道路が通って、ティオティワカンというところは便利な立地条件だった。
 いや、もともとティオティワカンがずっと前にあったのだから、そのそばにメキシコシティーが出来たというのが正しい。
 快適にラクに向かえるのはこのスペシャル・ツアーの“スペシャル”スケジュールからしてありがたい。
 もっともこういう日程に組まれたのもどこか“仕組まれている”気もするが・・。

 途中のレストランで昼食をとった。外国人観光客がたくさん来ているそこでは、羽飾りをつけたマヤの衣装で踊りが披露された。
 出るときにチップといわれて急に現実に引き戻される。
 みやげものコーナーでわたしはマヤ人の横顔を描いたキーホルダーを見つけ、手にした。ひとつだけあたまの羽飾りに麦の穂がついているものがあり、『生命』を感じてそれを買った。闘いやいけにえや神への畏れだけではない素朴な“希望”と“喜び”をその一本の麦の穂に感じた。

 車に乗り込んでピラミッドへ向かう。
 木や緑というよりも土っぽい砂っぽい大地にひろがるティオティワカン都市。
 そこにそびえるピラミッドが見えてきた。一大観光地としてひとびとを引き寄せている。
 駐車場で止まって車を降りる。
 初めにこの都市のものすごさを見せつける遺構に足を踏み入れる。うつくしい模様に見える壁は石をセメントで積み上げており、もとは真っ赤に塗られていたそうだ。
 部屋の隅にはトイレも残っており、排水設備も完備。とても日本の古墳時代とは思えない。建築学的にも現代に通用する構造になっており、強度を保つ角度にも狂いがないそうだ。様々な壁画の説明を聞き、ラーメン鉢のふちの模様のようなのが“水”を表わしていると聞いてふーんとうなずき、その遺跡から外へ出た。
 大通りのどん詰まりに位置する月のピラミッドが目に入ってきた。
 メキシコに来る前はピラミッドのそばに行けるだけでいい、上まで登れなくとも満足だと思っていたが、ごく自然にながれに飲まれてその鎖付きの急な階段を登り出した。
 行けるところまで、行けるところまでと思いつつ、ついつい頂上のすぐしたの踊り場のようなところまでなんとか登ってしまって、座り込んだ。
 修道院でもらった聖水をちびりちびり飲みながら登るとなんだか楽だった。
 そこで一緒に登ったFさんとMさんと並んで大通りや太陽のピラミッド、周囲のひろびろとひろがる景色を眺めた。大きな街の跡だった。
 大通りのふちにぐるりと並んでいる建造物は上から見ると不思議だった。なんのためのものなのか。祭壇のようだった。大きな鍵穴のような形に並んでいる。
(ひとつひとつの上に神官が立ったらなんだか面白いな。)と思った。
 曇っていた空に晴れ間がのぞく。自然にからだが反応して太陽に向かって柏手を打った。

 月より大きい太陽のピラミッドに向かう。Iさん、Mさん、Fさん、わたしの4人は見上げるばかりの巨大なピラミッドを登り出した。
 半分こりゃ登頂はムリきゃも・・と思いつつ
「ゆっくり行くから・・。」とビリケツ態勢になった。ちょっと行ってはアル中患者のように聖水をラッパ飲み、ごっちりごっちりと登った。
 最後の踊り場に出たときはさすがにしばらく息が整わず、むねも苦しく、頭まで痛くなりかけた。しばらくそこで休んでようやっと落ち着いて、ふと頂上がすぐそばなのに気がついてそりゃっと最後のでこぼこを乗り越えた。
 そこにみんないた。
 Fさんにうながされて、そこに埋め込まれて他の人が触っていた3cmほどの小さな銀色の金属のようなものに、4人して人差し指をあてた。それがこのピラミッドの中心の目印らしかった。
 わたしは足がほかほかしてきた。
 この“神への祭壇”に来れたことに感謝を捧げ、地球上のすべての上に平和のあらんことを祈った。
 Fさんは「あつい・・。」が「あちちちち!!」になって、それを合図にみんな手を離した。
 さんさんとふりそそぐ陽の光を浴びてこのうえない充足感に顔をゆるます。
 この時にピッタリだと思い、聖水を回し飲みして乾杯した。
 この時撮った記念写真はだれに見せても事故後だとは信じてもらえず、すっこ〜んと抜けた笑顔のわたしがそこにいる。

 全員で無事に登れなかったのは残念だったが、でもいつかどこかできいたことがあった。その日、その時、その場所にいる人数は多くも少なくもなくピッタリの数だ、と。たったひとりだとしてもそれは意味がある、と。
 11というのはマヤン・オラクルでは“不調和”を表わす。けれどもそれはエツナブを調和させる聖なる数。今回のツアーは運転手まで入れて11人だった。
 そして奥深いものを感じたのはピラミッドに登ったメンバーにこのツアーのエツナブが揃ってふたりもいたことだった。エツナブというのはどういうもので、それは何を意味しているのだろうか・・。解釈しようとは思わないが、大きな鐘が響いているようには感じる。ここにエツナブの項にのっている詩をそのまま写してみる。


『めざめをうながす詩』

わたしはエツナブ、鏡の間
わたしはただ、おまえの本当の姿を映して見せるだけ
あるものはその姿を美しいと思い、あるものはゆがんでいると思う
わたしはまさにおまえであり、鏡に映し出されたホログラム
明らかなる現実の鏡から、おまえに本物のビジョンを見せる手段

空となり、シンプルとなり、静寂となって
鏡の間の中心にむかって旅をせよ
頭でつくりあげたこの世の幻影、ぐるぐる回るその迷路から、おまえは脱出するのだ

わたしはエツナブ
パワフルな現実があらわれる、時間を越えた反映
そこは時間が止まり、大いなる神秘があらわれる入り口
この瞬間を捕らえろ、鏡の間に入ってゆけ

時間のないこの場所で、自己の果てしない反映の場所で
「わたしはいったいだれ?」とおまえは問う
鏡の中で片鱗が集まり、形となりはじめるとき、答えが返る
「それはわたしだ」と
二つの世界の中間が、鏡と現実の中間が、おまえを招く
入ってくるようにと

魂の戦士、おまえは鏡に近寄りささやく
「真実よ、わたしの新しい名を呼べ」
鏡の間が空の中にある力強い波動を発する
言葉が語られ、現実と次元が一点に集中する
まさにおまえの目の前で鏡が溶けていく

おまえはその鏡を抜けて、大いなるこの現実で自由の身となる
そこでおまえはマヤのピラミッドに出会う
頂上めざしてよじ登るため、おまえは空(くう)となる
そのとき、おまえは神の力が降り注ぐ神秘の庭を感じるだろう
もしもおまえの気持ちが揺れ動いたら
「いまここに、この瞬間の現実しかない」といえ

頂上にたどりつくと、ピラミッドの中心にある、輝く模様に引き寄せられる
そこはおまえが期待せず、天に向かって座る場所
完全なる展開、その恍惚の中で、結合と無限のときが流れていく

真実の剣と光をともない、翼のうちに静寂を秘め、光り輝く存在が降りてくる
その光は、おまえのもっとも暗い幻影を突き抜けていく
おまえは恐れず自己の死を待つ

儀式のための剣を受け取るとき、真実を焼きつけたその刃は
おまえの頭上からハートの中までを貫き、幻影を切り裂き

ひとつの空の道具として、聖なる存在をあらわにする

天にむかうクリスタルのピラミッド、天から降りてきた神のピラミッド
この二つが出会う瞬間の光
それがおまえ自身であることを、もう一度思い出すがよい

おまえは清らかに浄化される・・・真実の子供として
恵みのうちに再生される・・・光として
大セントラルサンの子供として
永遠なるいまの子供として

この聖なる再会で、おまえがひとつの意識という木から落ちた果実なることを知るがよい
                         ---マヤン・オラクルより---

-*-*-*-*-*-*-*-*-

 春分の日のチェチェン・イツアー遺跡で見られる太陽の仕掛け『ククルカン(ケツアルコアトル)降臨』をメインにすえたツアーだったが、考えてみればトニナですでにそれはあったのだった。
 春分の日のそれがもっと大規模な“交差点”であるのかもしれないが、そのときを待たずククルカンにご降臨いただいた。エツナブの鏡の間で。
 そんな気がなんだかしてきている。
 あまりにもこの地図(マヤン・オラクル)が奥深いので、時々ガツーンと涙流れるときすらある。様々な言葉や色や光や絵や、音楽や人や風景に遠い記憶を揺すぶられる。
 思い出すひとが増えている。ある壮大なプランのために(?)。
 騒がしくも楽しみなこれからになりそうである。
 目の前のピラミッドを登るには、憎しみあうひまはどうやらあんまりなさそうだ。(完)

                              赤い水晶の空歩く者

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by ben-chicchan | 2005-11-09 00:12 | 紀行文

GIFT《7:開》〜マヤ紀行2001〜

 翌日になってそういえば撮っていないなというレントゲンを、どうやらやっと撮るらしく連れていかれた。
 レントゲン室の扉を開けて中に入ると前の人が撮影中で、濃い顔の恰幅のいいメキシカンがまるでスポーツをしているようにリズミカルに撮影していた。となりの部屋ではBGMがかかり、それに合わせて時々歌っている。
 ひとりの撮影が終わると彼はとなりの部屋に引っ込んで、ひときわ大きい声で音楽に合わせて歌い出した。まるまる一曲歌い終わるまで出てこなかった。
 アリアというかイタリアっぽい曲で、この光景はまるでイタリア映画でも見ているみたいだった。病院のレントゲン撮影というよりは、街角の写真屋さんというようなこの人生の楽しみ方(?)にあっけにとられながら、くすくす可笑しくなった。
 こんな世界もあるのか。
 このレントゲン写真はSさんいわく「日光写真みたい・・。」だった。
 だが、ここに住んでいる人たちにはこれは当たり前の日常で、このレントゲンをたよりに生活していて日本のような医療を受けられるわけではない。
 日本のように技術、とか、きちんと、とかいうところは地球上ごく一部と思ったほうが自然かもしれない。
 そしてどっちがいいかといえば、マヤ流に大きくとらえればわたしにはどっちとは断言できない。

 事故の翌日のこの日の夕方、病院を移ることになった。そのことを耳にした直後、ちょうど終わりかけた点滴の追加を、青いアイシャドーにピアスをした堂々たる下町のアネサンといったような中年の看護婦さんが持ってきて、Sさんに取り付けようとした。すぐにも病院を出るような話だったのであわてて
「NO, NO !」と手を振ったがなにしろわたしはブラックリスト人なので看護婦さんまたあという顔をして取り合わない。
「いやそうじゃなくて、ドクトル、ドクトル、ポルファボール!(先生お願い!)」
とかなんとか言うと、まったくもうと苦笑しながら聞きにいってくれた。
 帰ってきた彼女に「OK?」ときくと、にや〜っと笑って「NO〜。」
「NOー!!」とふたりで合唱すると、笑いながら点滴を取り始めた。あーやられた。ジョークだった。こわそうなアネサマだと思ったがそうでもなかった。

 警察の事情聴取を終えて、病院を出ることになった。なんだかなじんで居心地がよくなったところでさようなら。
 トニナの帰りに「ここに泊まりに来ることは・・ないよな。」と思ったが、まさか泊まることになるとは・・。それもこんなにはやく、こういうかたちで。人生わからないものだ。
「運転手にはみなさんは事故に合われたばかりだから十分気をつけてゆっくり行って、と言ってありますから。」と、駆けつけて手配してくれた現地旅行会社の人に言われた。
 始めはその言葉通りゆっくりという運転だったが、実はけっこう距離があって4時間くらいかかるらしく、だんだん地元ペースというかラテンペースにもどってきてブンブンすっとばした。山道のくねくねも通るのだがトラックもごんごん走る幹線道路らしく、たしかにある程度は流れに乗らないとかえって危険でもあるのであとはもうしゃあない、おまかせ、である。
 ひたすらごんごん走るうちに眠くなったらいかんという意識もあるのか、運転手はとなりのメキシカンとペラペラしゃべり出した。ラテン系のノリで調子にのると横を向いてしゃべる。
(お〜い!)と思いつつ、とにかくまな板の上の鯉。無事を信じてこっちもとなりのTさんとしゃべったりしながら身を任せるしかなかった。
 でもけっこうこの時のおしゃべりは楽しくて道中なごんだものだ。

 思ったよりも時間がかかってやっと大きな街に入った。
 だがそれから目的の病院がなかなか見つからず、ぐるぐる徐行しながら、街の人に2回聞いてようやくその病院にたどりついた。もっと近いのかと思いきや、この距離を気を遣いながらの運転はさぞやと、疲れのにじむ運転手さんたちにも感謝。
 車を降りると日本人が3人で迎えてくれた。ドクターと現地旅行会社のふたりだった。病院に一歩入るとこぎれいでいい感じがした。ひとの感じもわるくなかった。安心できるところに着いたという印象がした。
 ドクターに診てもらうためオフィスの待ち合いソファーにみんな座り込んだ。
 Mさんが部屋に入っているとき、Sさんが突然思い出したように笑い出した。
「あの看護婦さん。はっはっは・・!」
 すぐにわたしも例のアネサンのことだとピンときてつられて笑い出した。
 ほっとして緊張の糸が切れたのか、腹の底から可笑しくてヒーヒー笑った。火に油を注がれたように止まらなくなって大笑いした。らっきょうが転がっても可笑しかったと思う。あんな笑いは久しぶりだった。そんなつまらないことで。

 診療を終えて、ひとまず安心した。病室に案内されるとそこは個室だった。二人部屋だったあとなので少々淋しさを感じたが、TVにトイレ、洗面所、シャワーまでついたホテル並のところで、いいところに入れてくれたのだなと実感した。
 夜も遅かったので、旅行社の人が夜食の買い出しに行ってくれてサンドイッチとコーラを持ってきてくれた。
 ありがたかったなー。ほんとにありがたいおいしい夜食だった。がつがつ食べた。普段は飲まないコーラまでウマかった。こんなファストフードだというのにいまだにあのウマサは忘れられない。
 またしても点滴の続きを受けながら、しかしその夜は眠れそうだった。
 たいして日は経っていないのだが、何日分もあるこの2日間だった。

 翌日はゆっくり静養。とはいえ点滴だなんだかんだと出入りはあり、驚いたことにサービス専門のスタッフというのがいて、何か困っていること、足りないものはないか?ときめ細やかにケアしてくれて、何かあればわたしに電話してくれと番号を置いていった。感心した。日本にはこんなサービスはあるのだろうか?
 その後、困ったことはなかったのでその人とはそれっきりだったが、そういう仕事があること自体がちょっとカルチャーショック。
 彼女はわたしの担当看護婦も紹介してくれた。インド人風の美人でとても素朴な笑顔を見せるそのアナスタシアの顔を一目見て思わず気に入って「ベ〜リ〜グー!」と笑うと彼女もうれしそうにニッコリしてくれた。

 この日は大使館の人もやって来て、やっぱりこれだけの人数で転げるとこういう人もやってくるのだなあとフムフム。
 彼は「たいへんでしたね。」とかなんとかおっしゃって、わたしは
「おかげさまで軽傷で・・。」と言った。するとビックリされて、
「ムリなさっているんじゃないですか?」と言われ、
 あ、そうか、首にサポーター巻いて点滴ぶらさげている図はそう見えるよなとはたと気がついた。その時、ツアーが希望者は続行されるというはなしになり、やはり
「 ムリはされないでくださいね。」というようなことを言われた。そりゃそう言うだろうなあ。
わたしは、「明日のことは今日決められないので明日考えます。行ければラッキー。行けなくてもともとですから。」というようなことを言った。
 あまり執着はなかった。ながれのままにゆだねようと思っていた。
 なにしろ完璧らしいから。この旅の前半で得たものによると・・。
 だいたい転げたときに中止だなと思っていたので続行は寝耳に一級茶葉芳香天界茶(!?)
 わたしはドクターが最終日のティオティワカン、行っていいようなことを言ってくれたのでぎゃふんと驚いていた。
 ティオティワカン!それはわたしがこのツアーを最後まで乗り切った時のごほうびとして日本でイメージしてきたところだった。
 ティオティワカンの地に立つことをこの旅の成功のイメージとしてきた。
 う〜ん・・。一寸先はほんとにわからない。こういうこともあるのか・・。

 この日はあらためてもう一度レントゲン撮影があり、ふたりの男性がやってきた。
 レントゲン技師さんらしいメキシカンは憎めないがちょっとクセがあり、わたしの名前を大声で間違える。訂正してもきかぬそぶり。
 もうひとりのTシャツにGパンのおにいさんはこころをこめてていねいに車椅子に移してくれてちょっとうれしい。人様にこんなに大事にされることは普段はそうはないのでお姫様気分。
 レントゲン室に運ばれる途中、こどもに手を振ると恥ずかしがっていたその子はおかあさんにうながされて手を振りかえしてくれた。
 みんな日本人は珍しそうで、おまけにオコシンゴの事故はラジオニュースかなにかで流れて知れ渡っていたらしく、注目を浴びて気恥ずかしい。
 だがせっかくなので草の根外交。
 Mさんも地元のおかあさんに頭を洗ってもらったり、お礼にせんべいをあげたりしたそうでそういうことはこういうことでもないと、なかったろうな。

 レントゲン室に運び込まれると寝台に寝かされた。ここは寝て撮るらしい。
 技師のメキシカンは相変わらずわざと間違えて名前を読み上げた。
(あっわかって言ってるな!)とこっちもごていねいに訂正してやりかえした。
くっくっく。可笑しい。こっちの人はこういうちっちゃなやりとりを楽しんでいる。まったくの初対面の外国人とも。
 Tシャツのおにいさんは撮る間そばにいてからだを動かすのを手伝ってくれた。
 間があったので数少ないレパートリーからしゃべりかけた。
「メグスタ エステ オスピタル(わたしこの病院好きです)」
 すると通じて、彼は笑いながら「なんたらかんたらパラダイス?」と言った。
「あっ、それじゃここは天国だろう?」とか言ってる!とわかって、「はははは!」と受けた。すると向こうも意味が通じたことに愉快そうに笑った。

 2回か3回しか会わなかったが婦長さんのようなひともいた。
『シーラという子』という本を書いたトリイというひとのような、ひとを包み込むような大きなあたたかい笑顔のひとで、
病室に「オラー!」といって入ってきた。オラは親しみのこもるあいさつ。
 来るだけで安心感をはなつ。その存在自体が病人のクスリ。それは経験と人徳のなせるワザだった。
 顔施(がんせ)という言葉がある。笑顔だけでひとをなごませる。そんな言葉を思い出させた。

 他にも印象深いひとがいた。
 そのひとは病室の掃除をしにきてくれる40代くらいのマリアさん。1日に1回か2回必ず顔をあわせるうちにどういうわけか惹かれて声をかけた。
 名前を聞いてハッとした。
 今このときにきく“マリア”という名前は特別な響きを持っていた。
 まるでこうしてわたしのような怪我人や病人に出会うためにそこに遣わされているかのようなひとだった。
 名前のとおり、マリアはみるからに信仰深そうでシャイな感じがした。
 だが、どういうわけかあまり話さなくても信頼がおける感じがした。にんげんの印象というのは、そのひとの全存在から“感じる”ものであって、たとえそのひとが他のくにのひとで言葉があまり通じなくともなにかがすとんとフに落ちることがあるものだなと、マリアに出会って想った。
 信仰深いということを実際のひとによって好感を抱いたのは初めてだったかもしれない。 
 名もなき一掃除婦に“マリア”は宿っている。
 
 わたしは自分が持っていたグアダルーペの天使のカードをマリアに見せたくなった。
 このカードはこのツアーを主催した旅行社の別のメキシコツアーでのおみやげプレゼントに応募して当たったものだった。タイミングが“シンクロ”しすぎて勝手にわたしは“メキシコの招待状”と呼んでいた。
 彼女はおしいただくように両手でそれを大事そうに受け取ると、ていねいに裏の説明も読んで自分の胸にあてた。
 そして「プレゼント?」とほんのり茶目っ気をのぞかせながら言った。
 彼女が冗談ぽく言うのを楽しく思いながら笑って言った。
「あ〜・・、メグスタ エスト・・.(わたしこれ好き・・なのであげらんないのよ〜)」
 マリアははにかむような笑顔を見せて首を振りながらわたしを抱きしめるそぶりをした。
 その時思いついてわたしはベッドから降りると荷物を探って日本の飴をひとつかみ取り出した。
「ハポン カラメロ・・ドウルセ(日本の飴。甘いよ。)」
 ちょうど枕元に出しておいたスペイン語会話の本で引きながら、そう言ってそれを渡した。マリアはにっこりしてポケットにそれをしまった。
 うちに帰ってこどもたちにはなしをしながらあげてくれたらマリアのうちの今日のちょっぴり楽しいエピソードになってくれるだろうか?
 彼女の写真をあとで撮らせてもらった。それはわたしのこの旅のお気に入りの1枚となった。
 退院する日、これで最後になるかなというときごく自然に満面の笑みがこぼれ、両手をひろげてマリアをハグした。そのときのために本で調べておいたフレーズを添えた。
「ロ エ パサード ムイ ビエン. ムーチャス グラシアス.(楽しく過ごしました。ほんとにありがとう。)」

 アナスタシアも今回縁の深かったひとりだが、黙っていると大人びてみえる彼女はきいてみると21歳とのことだった。そういえばナースステーションにもどって同僚としゃべっているときの様子は日本の20代と一緒。
 最後の点滴になったとき、きれいに時間内で終わらすために点滴の速度を速めていった。するとだんだんからだに負担がかかってきて、(う〜ん・・しんど。)となったので、初めてナースコールを押した。
 アナスタシアは飛んできて、
「ラピド(速い)・・。」と言うとすぐ合点して速度をゆるめてくれた。
 このまま別れるのはなごり惜しく、住所をきいた。
 彼女はすぐにでも会えると思ったのか、勤務時間までていねいに書いてくれた。
「カルタ(手紙)・・。」と言って手紙を書くジェスチャーをした。
 彼女の写真も今回の宝だ。

 メキシコ チアパス州 トウクストラ グティエーレスのサナトリオ ロハス病院。
 ここはどこか働く人の上に天使が遊んでいるようなそんな病院かもしれない。

 ずいぶん後になってガイドのYさんにきいたことで深く合点がいったことがある。
 トニナの瞑想でケツアルコアトルはわたしたちの“カギ”を開けていったというのだ。“カギ”を開けただけなので、あとは開くのは自分次第なのだが、トニナ以降わたしのなにかがパッカンパッカンと“西部の酒場の扉”状態なのに自分で気がついていた。
 こどもの頃でさえこうも自由に開いていなかったそれとの再会は自分に対するオドロキとなっていた。素っぴんの等身大のジブンがズッコケながらそこにいた。
 いや、素っぴんどころか、すっぽんぽんだ。
 な〜んだ、そこにいたのか。ずいぶん探したよ。
 近頃想う。30も半ばを過ぎた頃、ひとはオギャーと生まれることがある。
 それも1回で済むのではなくて、思えばひそやかなのを入れるとこれで3回目ぐらいだ。ほかのひとがとっくに生まれ終わっていることをこの年で味わうこともある。
 ということは思ってもいないような40や50でまたすっぽんと生まれ出るのだろうなと思う。キリがない。
 年をとるのは驚くべきことだ。想像を越えた楽しいことだ。なにかを経験することはいいことだ。どんな経験も生まれるためにある。そして、“再会”し、その“わたし”を生かして(活かして)いくためにある。
 おおきなながれのなかに。しくみのなかに。
 それはマリアの場合、病室の掃除をすることだ。そんな“尊い”仕事をしたいと想う。あるひとは キオスクでガムを売ることかもしれない。あるひとは病院のベッドの上でほほえむことかもしれない。どんな仕事にも“しごと”をこめることはできるし、いい“しごと”のできるひとでいたい。
 名も無い一庶民の、お天道様に沿う小さなくらしはうつくしい。
(そのままいきなさい。うつくしくありなさい。たのしみなさい。)その三つのインスピレーションをわたしは感じていた。うつくしくの意味はながれに逆らうな、ということだと思った。ながれというのはうつくしいのだと。
                                《8》へつづく
 

 
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by ben-chicchan | 2005-11-01 00:03 | 紀行文