翌朝も早く、トニナというこれまた普通のツアーでは行かないような遺跡へ行く。
寸暇があったのでわたしはホテルのショップで美しい色のカードを買った。
マヤの有名な絵や、マヤのシャーマンの絵などを独特の原色でアレンジしたもので、職業柄、色に反応してしまうわたしは色の印象でババッと5枚ほど選んで購入すると、みんなのいるロビーのソファーに座り込んだ。
カードを見せながら、ふとウスマシンタで拾った石を取り出してみて(あれ?)と思った。きのうは気づかなかったが、石の表面にひとの横顔のような模様がある。
鉤鼻っぽい鼻を持つその横顔は、今買ったようなマヤの絵に出てくるマヤ人のようだった。「見て見て。」とその石を他の人に見せながら、ふつふつとうれしくなった。“ご縁”を感じた。
車に乗り込んでまずはトニナに行く途中にあるアグア・スールという滝へ向かう。そこも昔から聖地といわれてきたところで、水が美しいらしい。けっこう楽しみだった。
トニナに行く丁度中間ぐらいのところにあるそこは、今回うまい具合にスルリとスケジュールに組み込まれた、やはり“ご縁”のあるところらしかった。滝というだけでも充分魅かれる。
スペイン語ではアグアは水、スールは“青”を意味している。うつくしい名前。
そこに着いた。トニナが控えているのであまり時間はなかったが、滝のそばまで行き、写真を撮った。少し、いつもより濁りがあるらしいが、鍾乳石のような黄色いつるつるの大岩を“青い”水がいきおいよく滑っていて、明るい色合いの滝。飛沫があがってマイナスイオン!といわんばかりの清々しさ。
大きな滝の脇に小さな滝があり、奥へ登っていく道があった。
道沿いにはおみやげものやさんが並んでいる。その道を行き、小さい方の滝の流れをたどっていくと小さな建物があり、アクセサリーを売っていた。
“水”の記念がまた欲しいような気がしてきた。初めに手にしたトルコ石のような色の涙型のネックレスは、いまひとつピンと来ず、もう一度テーブルの上をざっと探してローズクオーツのピラミッド型を手にした。ローズクオーツはわたしのお守りのような石でもう持っていたのだが、形に魅かれた。
30メキシコドルということは約300円(!?)あらまー。
そしていよいよ本日のメイン、トニナ!!に向けてまた山道を走り出した。
車中でさっき買った石の話になると、Hさんが思い出したように言い出した。
「ウスマシンタ河でまんまるの白い石を拾ったんだけど、ウラに傷があったからもどしたのよね。そしたら次の瞬間なくなっていた。あれは不思議だった。」
「へー。」と聞きながら、Fさんがわたしが拾った石に横顔のようなものがあったことをちらっと言ったので、わたしはその石を取り出してもう一度Fさんに渡した。
わたしのとなりにはHさんが座っていて、Fさんは斜め前に座っていたので、Hさんの目の前をその石は通過することになった。そしてFさんから帰ってくるその石は当然のようにHさんの手に渡った。
「あっ!これだ!この石!わたしが拾ったの!このキズ・・。」
「えーっ!!?」ビックリ仰天、大笑い!
次の瞬間消えたワケだ。わたしが拾っちゃったから。確かに傷を見て返したのは分かった。同じこと思ったから。
しかし、あんなにそれこそ星の数ほど河原には石なんてあるのに、よりによって同じ石を手にするとは!なんだか愉快だ。
ツアー行程の途中から耳の調子が悪くなっていたIさんは、アグア・スールで手に入れた石を車中でずっと耳に当てていたら、耳が通って聞こえるようになった。
わたしも石で具合のわるさが治ったことがある。
わたしは胸でいろいろ受けてしまうたちで、受け過ぎたな、という時にローズクオーツを胸に当てたことがある。すると不思議に、かるく、ラクになったことがあった。
吸い取ってくれるような、融かしてくれるような、引き受けてくれるような。
そもそもはヒマラヤ水晶のペンダント・トップを初めて手に入れた時になんとなくからだのあちこちに当てていたら、胸のど真ん中にピタっとくる感じがして、その位置に合わせてチェーンの長さを注文し直したのが始まり。
なぜ分かったかというと、背中まで抜けるような爽快感があったからだ。気功をしている時のような、いや、それ以上の口中のさわやかさも感じ、なんだこれはと思った。ミネラルっぽい味もした。その時から、アクセサリーをする位置というのには意味があり、昔の人はただ飾るためだけにしていたのではないのではないだろうかという風に感じるようになった。
自分のスキのあるところ、出入り口というか、(チャクラだとかツボだとか言われているいるところ?)そこからよけいなものを入れないように。もしくは補ってサポートしてくれるように石を身につけたのではないだろうか?
そして、その時の自分にとっていいもの(必要なもの)と、そうでないものとは、自分なりにだが感じる。簡単なはなし、よいものはあたたかく広がる感じで心地いい。もしくは清々しい清涼感がある。そうでないものはつまって重くなる。不快である。
・・・からだで感じる感覚にこころを澄ますのはおもしろい。
けれどもとても静かで微妙なものなので、こころを騒がしくしたり、忙しくしているとおもしろいことにてきめんに感じなくなってくる。
水みたいだ。撹拌されると底の砂が舞い上がりみえなくなるが、しばらく静かにしているとうわずみは澄んでくる。これは誰にでもある原始感覚で特別なものではないらしい。
《5》へつづく